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    小谷が対岸から流れを指しながら叫んでいた。房一の竿の前を渡渉とせふするので承諾を求めたのだ。

    「ねえ!」

    「まだつて、はじまつたばかりですよ」

    河原町の人達は皆自家の仕事をはふり出して川に出ていた。彼等の悉くがこの時期には漁師になつたかのやうであつた。まるで諜しめし合せたやうに同じ麦藁の大きな帽子をかぶつて、白いシャツを着こみ、魚籠びくと追鮎箱とをガタつかせながら、めいめいの家の裏口から河原に現れるのだつた。

    さう呟きながら、下手を眺めた。

    と、その稍落ちつきのない女らしい黒瞳くろめがちな眼を道平に向けた。

    ――「やあ、おいでなさい。わたし相沢です」

    「よし。――さうしとかう」

    これは珍しいことだつた。鍵屋は房一の借家主の本家筋にあたつていたから、その関係を考慮して招いたのであらうが、房一はまだ河原町に古くからつゞいている家と家との関係から成り立ついはゆるつき合ひの範囲には入れられないで来たのである。鍵屋は河原町では一二の旧家だつた。したがつて、そこの法要へよばれることは、房一にとつては開業以来はじめて表立つた世間へ医者として顔出しすることを意味していた。恐らく、これをきつかけにして、房一はこれから先き河原町の世間に徐々に容れられることになるのだらう。それも、開業してから三ヶ月近くになる今日やうやく来たものだつた。そして、開業だの診察だのといふことよりも、今夜が河原町で医者として踏み出す第一歩だといふことを房一は見抜いていた。

    風はすつかり途絶えていた。

    「あいつも、君んとこと同じで、子供ができたらしいよ」

    と後を追ふと、徳次は

    「さうか、――そんなに何もかも、こつちでして貰つてもえゝか」

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